俺はエレベーターに乗ってお父さんの応接室のある階まで行った。
コツコツと足音が響く廊下の静けさに比べて応接室からもれる声は妙に大きく、
声から察するに、部屋にはお父さん・ロートン氏・ポンコッツ博士がいるようだった。
俺がまだ寄宿舎に行く前の話だが、ロートン氏は「博士号」を持っていた。
彼はそれに値するほどの才能の持ち主で、
その恐るべき才能による新たな試み、
―廃人の皮膚等によるより人間に近い機械人間製作論―
を発表し、一時は注目されたのだが、
多くの科学者はそれを実行をすることによる人権の危機を主張、
それでも製作を実行しようとしたロートン氏は博士号を失ったのだった。
それからというもの、それは人目を避けてなのか昼の訪問は少なく、
夜がふけてからの訪問が多かった。
相変わらず例のバッグをガチャガチャならしてお父さんの応接室へ入っていく姿がたびたび見受けられた。
昔はお父さんとロートン氏の二人だけだったのが、
いつの頃からかポンコッツ博士がそこに加わるようになっていた。
彼は新型機械開発部門でいくつもの賞を受賞し、一躍時の人となった。
彼がつくるのは家庭のご婦人方に喜ばれるようなものではなく、とてつもなく大きな機械だった。
いつだったか、立体映像の中の女性アナウンサーがトップニュースで告げたのは、
ポンコッツ博士による、新型の戦車だった。
歴史には詳しくないのでよくは分からないが、半世紀か前の・・・、
いや、1世紀ほど前だったか・・・・・・、その頃使われていた戦車にくらべればずっとシンプルなものだった。
いわゆる、キャタピラー部分をすっかり取り払い、エアカーにしあげたものだった。
まさかこれからの未来を担う幼稚園児などは知りもしないだろう。
毎朝登園に使っているエアバス、彼らの両親が乗り回しているであろうエアカー、
全てポンコッツ博士が開発した戦車からアイディアを盗んだのだ。
・・・盗んだというのは失礼に値するだろうか。
もちろん、そのようなモデルにするのに莫大な特許使用料金を払っているに違いない。
さて、俺は廊下に自分の足音を響かせるのをやめた。
ドアノッカーを持ち上げ、二、三回たたく。
すると部屋から聞こえていた声はさらりと消え、少し不機嫌なお父さんの声が返ってきた。
「誰だ。」
「僕です、ロックです。お父さん。」
「何のようだ。」
「庭師ロボットが暴れ出してしばらくしたあと硬直しました。」
「そうか。それの処理は他のロボットに話してまかせておけ。」
「分かりました。」
「今は話し合いの途中だ。邪魔をするな。」
「すみません、お父さん。」
全てドア越しの会話。
お父さんはその間椅子から立ちあがった気配もなかった。
俺がそこから離れて部屋へ戻ろうとしたその時、ポンコッツ博士の少し濁った声が聞こえた。
「これならもう平気でしょうな。」
「いやはや、世界一の人気を誇る方は世界の頂点にたとうとしていらっしゃる。」
次はロートン氏がそう言った。
するとお父さんは少し嬉しそうな声で言った。
「いやいや、頂点にたつのは私ではありませんよ。」
「ティマです。」
ティマ・・・。
一瞬耳を疑ったのは言うまでもない。
ティマという人は世の中にいくらでもいるのだろう。
義姉さんのはずがない。
ありとあらゆる憶測が俺の脳裏を駆け抜けていった。
「当たり前といえば当たり前でしょう。そのように設計したのも私でしたから。」
ロートン氏が言った。
現に車椅子の設計を任せられているのは彼だ。
だけど何かがひっかかるのは気のせいなのだろうか?
俺は廊下を歩きながらそう思った。
コツコツと廊下に響く音が俺をさらに困惑させた。
お父さんが作ろうとしているのは、新型の車椅子。
それさえあればどこへでも一人で行ける。
そこで俺はふと、歩むのをやめた。
そうだ、何故義姉さんの車椅子ではどこへでも行けるわけではないのか。
そうか、玄関前のスロープがそれを阻んでいるからか。
では何故スロープごときに行動を阻まれるような車椅子に乗っているのか。
そうか、だから今車椅子を作っているのか。
新型の車椅子・・・、そうか。
エアカーに仕上げたものなのか?
エアカーのようなものならばスロープごときに行動を制限されるはずがない。
型というのはきっと・・・、軸足の無い椅子のようなものなんだろう。
床の電磁パネルと椅子の底の面に取り付けられた電磁パネルの相反する力で浮く、
そういった形なんだろうか。
・・・これは工事費が結構かかるな。
ふと、柄にもないことを考えてしまった。
少なくとも、エアカーのような形をしたものでなければ、
ポンコッツ博士がここにいる理由がない。
俺の推測は、違うにしてもそれほど現実とかけ離れたものではないだろう。
ポンコッツ博士が開発した戦車のモデルを利用した、
ロートン氏の設計した車椅子・・・。
何かおかしい。
ロートン氏の設計した車椅子。
ポンコッツ博士が開発した戦車・・・。
戦車・エアトラック・エアカー
そうか。何故ここにポンコッツ博士がいるんだ?
エアカーのような形をしているのなら、
彼の開発したモデルの特許使用料金を払ってしまえばいいはずだろう。
いや、父さんのことだからもうすでに払ったに違いない。
車椅子を作っているわけではないのか・・・?
・・・いや、それはないだろう。
さきほど父さんは義姉さんが『座る』と言っていたのだし・・・。
ポンコッツ博士がいる理由。
彼は大型機械の専門家だろう。
たかだか他人の車椅子のためにわざわざこんなところまでやってくるはずがない。
一体どういった理由なんだろう?
・・・考えていたことが少々ずれてしまったようだな。
謎が謎を呼ぶとはまさにこのことだ。
新型の車椅子。
エアカーをモデルにしたものだ。
・・・ならなぜもっと早くにそうしなかったんだろう?
そうだ、エアカーやらエアトラックやらは俺が小さい頃からずっとあったぞ。
うちの馬車だって昔の乗り物をモデルにしたエアカーでしかない。
やろうと思えばすぐできたはずだ。
だがしかし、何を今になって『新型』だの言っているのだろう。
まさか・・・。
俺は走った。
エレベーターの到着を知らせる鈴の音さえも煩わしく思えた。
二階に到着すると、義姉さんの部屋へまっすぐ行った。
「義姉さん!」
バンッ、という音に驚きの表情を示した義姉さんは、原因が俺だということが分かると、
「どうしたの、ロック。」
と、いつもの暖かい表情で俺を迎えた。
俺は義姉さんにつかつかと歩み寄り、そして、跪いた。
古い型の灰色の車椅子はゴムでできているタイヤを使用していた。
「義姉さんは一人でスロープを降りようとしたことはありますか?」
唐突な質問に理解するまで少しかかったようだ。
その後義姉さんは一度目をそらしてから俺に言った。
「ないわ、一度も。」
なんて下手な嘘をつくのだろう。
「嘘でしょう、義姉さん。」
しばらくの沈黙の後、もう一度義姉さんは言った。
「本当に、一度もないのよ。」
「お願いです、義姉さん。本当のことを言ってください。」
「ごめんなさい、ロック。あなたが私に何をいって欲しいのか分からないわ。」
そう言ってターンしようとする義姉さんの、白い手首を掴んだ。
「あっ!」
刹那に義姉さんは車椅子もろともバランスを崩し、床に倒れてしまった。
「ねっ・・・!義姉さん!すみません、大丈夫ですか。」
「・・・・・・え、えぇ・・・。大丈夫よ。」
「さぁ、手を貸しましょう。掴まってください、義姉さ・・・。」
スカートがにわかにめくれ上がり、義姉さんの白い足が見えた。
そこには、両足を閉じた状態で一直線になるような、切り傷とも火傷ともいえぬ傷があった。
「義姉さん・・・。」
義姉さんは俺の視線がどこを見ているのか気付いたらしく、スカートでさっと傷を隠した。
「義姉さん、その傷は・・・。」
「ロック、立てないの。手を貸してくださるかしら?」
「その傷は何なのですか?」
「聞こえているの、ロック。私は立てないの。」
そういう義姉さんの緑の視線が鋭くて、それでいて切なげだった。
俺は義姉さんを手で支えながら車椅子に座らせた。
ごめんなさい、義姉さん。
「義姉さん、庭へ出ませんか?」
急に言い出す不自然さもおかまいなしに俺は言った。
「・・・・・・何をするの?」
「行きましょうよ。」
俺は義姉さんの車椅子を勝手に押し始めた。
カラカラカラ
カラカラ
カラ
・・・・・・・・・。
スロープを前にして、俺は口を開いた。
「義姉さん。一人で降りてみませんか?」
「なっ・・・、何を言っているの?」
「スリルがあっておもしろいと思いますよ。」
「私はそんなことしたくないわ。」
「一度だけやってみましょうよ、楽しいですよ、きっと。」
そう言って、俺は義姉さんの車椅子の背を、トン・・・、と押した。
一人でに車椅子は正面へと進み、スロープへと近づいた。
カラカラカラ。
義姉さんは何も言わない。
一メートル、また一メートルと進んでいく。
車椅子の前輪が今にもスロープを下ろうとした時。
「くっ・・・!」
俺は走って車椅子の進行を止めた。
義姉さんはその美しい金の髪をふわりとさせて振り返り、俺にむかって微笑んで言った。
「きっと助けてくれると信じていたわ。」
そんな義姉さんに俺は苦笑いを返した。
「すみませんでした、恐い思いをさせて。だけど・・・。
何故義姉さんは傷に触れようとしないですか?傷に触れて解決をしようとはなさればよろしいのに。」
「傷は癒すものよ。下手に触れて化膿させるものではないわ。」
「『過去』という名の傷は触れてみない限り、僕は推測でしかそれを癒すことができないではありませんか。」
「・・・・・・・・・。」
義姉さんは顔を伏せ、黙ってしまった。
義姉さんの部屋のドアを開け、中に入ると義姉さんは言った。
「貴方はよほど人の傷をえぐって苦しむのを見るのがお好きなようね・・・。」
「僕は・・・。」
「いいわ、話してあげましょう。何があったのかを。」
俺は義姉さんをじっと見詰めた。
何を言ったのか分からなかったからだ。
義姉さんが何を言ったのかようやく理解することができた後、口を開いた。
「義姉さん、では・・・っ!」
「何も言わないで。」
義姉さんは戸棚からティーセットを取り出して言った。
義姉さんはいつもらしくなく、カップを温めずに紅茶を注いだ。
そして、言った。
「ねぇ、ロック。何故ロボットはいつも人間の勝手で壊されるのかしら?」