保土ヶ谷の歴史 目次    大畠洋一    TOPへ

保土ヶ谷宿の成立と交通路の変遷
 
保土ヶ谷夜話
桜ケ丘の歴史 (保土ヶ谷区桜ケ丘の歴史)
連続講座「保土ヶ谷の歴史再発見」(2007)

  講座 「浮世絵で見る保土ヶ谷」(2006)
  
講座 「保土ヶ谷の古道」(2007


保土ヶ谷周辺の交通路 概説

鎌倉時代: 
海面が今より高く、現在の海抜3mが海岸線であった。
帷子川河口は海が深く侵入して平地は通行出来ず、主要交通路(前期鎌倉道)は山の上を通っていた。



戦国中期
海退が進み、平地が通れるようになって交通ルートが大きく変化する。
鎌倉道も山すそ沿いに変わる。(後期鎌倉道)


江戸前期
後期鎌倉道を一部利用して東海道(旧東海道旧道)が制定される。
60年後、やや広い場所に平行移動(旧東海道新道)。
これに合わせて4町を合併した程ヶ谷新町が作られる。