青面金剛進化論 石仏目次へ 本著は「日本の石仏」誌に掲載された青面金剛とショケラに関する筆者の報文をまとめ、関連図面と資料と若干の解説を補足したものである。 |
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![]() 左:六手剣人型 右:六手合掌型 |
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戸塚の鎌倉道道しるべ 「日本の石仏」89号(99春)掲載記事 |
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青面金剛の謎 日本の石仏石碑で圧倒的に多いのが庚申塔であり、全国津々浦々に多数存在する。 庚申塔は様々な形で作られるが、もっとも多いのが青面金剛(しょうめんこんごう)像であり、庚申の主尊とされている。 ところが日本でもっともポピュラーな石仏であるこの青面金剛は多くの人が関心を持って熱心に研究しているにもかかわらず、その正体が未だにはっきりせず、謎だらけの神様である。 |
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これまで青面金剛の謎とされてきたものを挙げておく。 (1)儀軌の四手青面金剛像がほとんど作られなかったのは何故か (陀羅尼集経九 大青面金剛呪法に文章で詳しく示された青面金剛の姿) (2)日本で多数作られた六手青面金剛は何をモデルにしたのか (3)儀軌四手青面金剛の姿はどこから来たのか (4)流行病駆逐の神様だった青面金剛が、庚申の主尊になったのは何故か。 (5)ショケラ(髪の毛を吊り下げられた半裸の女性)は最大の謎。 「ショケラの意味や語源についての定説はないというのが定説」という言い方で尽くされており、ほとんど何も分かっていなかった。 |
これまでの青面金剛研究 明治時代、若き日の民俗学者柳田国男はその最初の研究である「石神問答」の中で、青面金剛について 「両部(神仏混淆派)としては青面金剛を以て庚申に配し、まんまとお寺の境内に引き入れ申し候えども本来は道家の神なること疑いもなく候。」 柳田の仏教嫌いは有名で「本来猿田彦だったのを仏教の坊さんが金儲けのために真似してデッチ上げた」というのは、今から見ると随分ひどい言い方であるが、それを差し引いてもピントはずれな説である。しかしこの日本の神道と仏教に中国の道教まで加わって出来上がったという柳田の混淆説が今でも青面金剛の定説のようになっている。 それから五十年たった戦後、民俗学の大御所となった柳田国男の著書「年中行事覚書」には、「我々の祖先が庚申の晩に祭っていた神様は結局はもう不明になっているという他はない。」「庚申さんが青面金剛などというような妙な外来の神でなかったとすると・・」などとあり、「石神問答」以来一生を費やしての研究にも関わらず一向に青面金剛の本質に迫っていないことが分かる。 庚申講の起源や方法を解説した「庚申縁起」が全国各地に多数残存し庚申信仰研究の重要な資料になっている。しかし庚申縁起には青面金剛の姿や持ち物の説明はほとんど書かれておらず、この線からも青面金剛の正体に迫ることが出来なかった。 |
青面金剛やショケラについての謎が90%以上解けたと感じている。諸兄の活発な議論をお待ちしたい。