藤木ゆりこのホームページ 花遊戯/ 古典芸能&文学・表紙/
平家物語・扉/ / / 名馬と出来事/ 馬の毛色と乗り手の装束/ 歌舞伎/ 人物/ 和歌/ 古典リンク


平家物語の名馬と出来事

OPEN APL.04.2005

戀しくは きてもみよかし 身にそへる
 かげをばいかゞ はなちやるべき

《巻之四 競 より》

◆木の下(このした) 《巻之四 競》

伊豆守仲綱(なかつな)の愛馬。平家物語に出てくる中でも一番の名馬、もしくは飼い主に愛されている馬で、源平の合戦の引き金になりました。「鹿毛なる馬の、ならびなき逸物、のりはしり心むき、又あるべしとも覚えず。名をば木の下とぞ言われける。」乗り心地も気立ても良い、素晴らしい馬で、仲綱はとても大事にしていましたが、平清盛の次男宗盛(むねもり)がその噂をききつけ、見たいと言ってきます。仲綱は一度は断りますが、しつこく請われ、父三位入道にも促されて、仕方なく一首の歌を添えて六波羅へ遣ります。
戀しくは きてもみよかし 身にそへる かげをばいかゞ はなちやるべき
この鹿毛の馬は自分の影と同じような存在で、切り離すことは出来ないものだと言っているのですね。見たいのなら、来て見ればよいと、平家の嫡男に直接は言えないので、風流に歌に託したのです。ところが、宗盛は当時の風習だった返歌もしませんでした。それどころか、馬は素晴らしいが飼い主が気に入らないと行って、木の下に『仲綱』と焼印をおさせ、客人が来ると「その仲綱めに鞍おいてひきだせ、仲綱め乗れ、仲綱めうて、はれ」とひどい仕打ちをします。
仲綱はこの話を伝え聞いて、愛馬への仕打ち、自分の名前が笑われぐさになっていることに、大変憤り、平家への恨みを募らせます。

この話を聞いた仲綱の父、源三位入道頼政(よりまさ)は、大変口惜しい思いをし、平家を滅ぼしたいという思いに駆られますが、1人ではとてもかないません。その為、天皇の長男でありながら、位につけずに隠遁させられている、高倉の宮に、源氏を集め挙兵することを勧めたのでした。このときに出された書状を見て、源頼朝も動き出したのです。

◆小松殿の御馬 《巻之四 競》
上の物語のあとに、このときにはすでに亡くなっていた、小松殿重盛(しげもり)の話が語られています。平清盛の長男重盛は、とても人間が出来ている方で、宗盛とは正反対でした。妹の徳子を訪ねたとき、蛇が足元に這い回るのを見つけます。騒ぐと女性たちを驚かせてしまうので、黙って押さえ、仲綱を呼んで渡します。仲綱も騒がず受け取り、他の役人が拒絶するので、自分の郎党である競(きおう)を呼んで捨てさせます。
翌日、小松殿は仲綱へ、昨日の振る舞いのご褒美に鞍を置いた馬を贈ります。それも、「是は乗り一の馬で候。夜陰に及んで、陣外より傾城のもとへ通はれむ時、もちいらるべし」という言葉を添えてくださったのでした。戦のためと言わず、美しい女性に逢いに行くのに使えなど、なんと粋なお言葉でしょう。
重盛が早くに亡くなっていなければ、もしかしたら、平家の行く末もまた違ったものになったのかも知れません。

◆煖廷(なんりょう) 《巻之四 競》
上の話にも出てきた、三位入道の侍、渡辺競(わたなべのきおう)は、大変智謀にすぐれ度胸もあり、忠義に厚い人でした。高倉の宮の謀反が発覚したあとも、宗盛の元にとどまり、上手く信用させ「白葦毛なる馬の、煖廷とて秘蔵せられたりける」馬と、乗り換えにもう一頭をうまく騙し取って、三位入道のもとに帰ります。仲綱は喜んで、木の下の代わりに、宗盛秘蔵の馬のたてがみと尾の毛を切り、「昔は煖廷、今は宗盛入道」と焼印をして六波羅へ返したのでした。

いくら恨みが募っているからとはいえ、何の罪も無い馬たちに対してひどい仕打ちではありますね。その後、煖廷のたてがみと尾は伸びなかったと書かれています。




一番上に戻る平家物語の表紙へ古典の表紙へホームページに戻る







このページの背景は「十五夜」さんから頂きました。