OPEN MAR.03.1999 UPDATE MAR.30.2001
平氏と源氏の合戦、主従の信頼、兄弟の確執、親子の情愛、生別れ、死別れの悲劇、こんな面白い平家物語を、歌舞伎作者が、放って置くわけがない。
平家物語から題材を取った歌舞伎はたくさんあります。どれも、感動の名作ばかり。平家物語の描写との比較などしてみます。歌舞伎のページとリンクしていますので、あわせて見てみてね。★大きい文字は歌舞伎の題名の通称、【 】は本名題(正式なタイトル)です。
★関連記事のある「歌舞伎」や「落語」のページにリンクしていますので、そちらも見てね。
- 義経千本桜より 鮓屋 (よしつねせんぼんざくら すしや)
歌舞伎の「鮓屋」へ
- 平家物語のなかでも、哀れを誘う美男子の一人、平重盛の息子、小松の三位の中将維盛(これもり)。他の平家の面々が妻子も連れて屋島へと逃げて行く中、彼だけは奥さんと子供を涙をのんで、家に置いたまま出ていきます。すでに、負けるのがわかっているような戦に、巻き込むのがいやだったのでしょうが、残された奥さんや幼い子供達も、かわいそうですね。その後維盛は、屋島を抜け出して高野山へ行き出家したのち、入水してしまいます。
奥さんは、やはり平家物語きっての美女。物語の中ではやはり美男美女のカップルが涙を誘う役割になるのですよね。さらに、息子六代(ろくだい:維盛の幼名は五代。先祖平正盛から数えての代数らしいです)も、歳に似合わずしっかりしていて、もちろん見目麗しい美少年。彼は平氏の最後の悲劇の主人公です。維盛亡き後、お母さんや妹と隠れ住んでいましたが、北条時政につかまってしまい、首を切られそうになったところを、文覚上人に助けられ、出家する事になります。歌舞伎(元は人形浄瑠璃ですが)では、このあたりの筋を利用して、大胆なアレンジを加えた、いわばパロディとして物語を作っています。なんと、維盛は平家滅亡のあと、鮓屋の弥左衛門の下男としてかくまわれていたのでした。その、装束といえば、平家の時代は本来なら直衣(のうし)とか狩衣(かりぎぬ)に烏帽子(えぼし)、庶民だって似たような物を着ているし、烏帽子ははずせない物だったはずなのに、ちょんまげにきものと袖のない羽織なんです(笑) それを、はるばると後をしたって訪ねて来た奥さんが、嘆くんですね、袖のない羽織なんか着て、こともあろうにその「おつむり」は「さかやきを剃るなんて!!」平家の貴公子の姿とも思えない!!って。その、奥さんは一応、時代がかった長い髪の鬘をつけているんですね。ここも、歌舞伎の面白いところで、恋敵のお里は、黄八丈と日本髪にかんざしの町娘姿なんですよ、凄いクロスオーバー。
平家物語の中でも、嫌われ役の梶原平三景時は、やっぱり敵役で、維盛を捕まえに来ます。腹の据わった、かっこいい役でもあるのですが、もちろん、本家の「平家物語」にはこんなエピソードはありません。この梶原、実は頼朝の命令で、ある役目を負って来たのでした。それを知らない、弥左衛門や不良息子の権太までが、必死に維盛を助けようとする、その姿が感動の涙をそそる、名作です。
「平家物語」本文は、巻の七『維盛都落ち』、巻の十『維盛出家』〜、巻の十一『六代の事』〜あたりを読んでみてくださいね。
- 熊谷陣屋(くまがいじんや) 【一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)】
- 平家物語をもとにしながら、歌舞伎では、大胆な脚色というか、全然違うお話といってもいいくらいに、変わっていますね。
平家物語では、史実でも、敦盛は熊谷に討たれています。熊谷が、出家したのも事実ですが、平家物語では「それよりしてこそ熊谷が發心のおもひはすゝみけれ。」と、出家のきっかけになったとしか、書いてありません。ちなみに、熊谷が出家したのは、それからずっと後の事です。
平家物語では、熊谷の息子小次郎は、軽い怪我をしただけで、殺したのは敦盛。いかに息子と同じ年の、見目麗しい公達とは言え、他人なわけですが、歌舞伎では熊谷自らの手で、息子を殺してしまうのですから、これはその場で出家しても、納得がいく。ドラマとしての悲壮感、無常感も観客に訴える物がより強くなるわけで、「十六年はひと昔…」のセリフがひときわ感動を呼ぶのです。
この、一見むちゃくちゃなストーリーも、歌舞伎作者と役者の名演によって、納得のいく物語になるから、不思議ですね。
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