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OPEN DEC.19.1998
UPDATE MAR.24.2001





一言で歌舞伎と言っても、あまりにも、バラエティ豊富で、何から手を着けましょうか、悩むところ。思い切って、平家物語関連狂言と、落語のページで紹介した、話のネタ になった狂言、との二つのテーマで、取り上げていきましょう。
ちなみに、狂言というのは、能狂言のことではなくて「芝居」と言う意味です。

★大きい文字は歌舞伎の題名の通称、【 】は本名題(正式なタイトル)です。
★関連記事のある「平家物語」や「落語」のページにリンクしていますので、そちらも見てね。
★このページの内容は完全に「ネタバレ」です。

関連ページとして「かぶき感劇☆レポート」や 、私の描いた歌舞伎や平家物語のイラストのある「ゆりこのお絵かき」がありますので、あわせてご覧ください。


義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
作 / 竹田出雲、三好松洛、並木千柳  初演 / 1747年11月(人形浄瑠璃)

今や漫画同人の世界では定式になっている、パロディの世界。ある作品の登場人物を使って、元のイメージを生かしつつ、自分のお話を作ってしまう、というもの。ゲームなどでも色々あるみたいですね。この「義経千本桜」は『平家物語』や『義経記(ぎけいき)』などを題材にした、江戸時代のパロディ物です。だから本当の「平家物語」の設定とは、だいぶ変わっています。歌舞伎はもともと、庶民の物でしたから、武士の世界や昔の話も、当時の風俗を大胆に取り入れて表現しているわけです。だいだい、平維盛が頭を剃ってちょんまげを結っているなんて、いくらなんでも(笑)今でいうと、スーツとかGパンにTシャツといった服を維盛や権太が着ているといったところでしょうか、梶原は肩章や勲章がびらびらついた軍服、ゲリラ戦が得意の義経なら迷彩服かな?(笑)

歌舞伎の代表格と言ってもいい「義経千本桜」は源平の合戦を題材にした物語。日本人の大好きな、義経の悲劇を、静御前や、佐藤忠信と言う武将を絡め、まで出てくる(と言うより主役?)の、何とも歌舞伎らしい話。

主な登場人物は、狐の化けた佐藤忠信(義経の家来)、静御前、義経、平知盛(たいらのとももり)、安徳帝、平維盛(たいらのこれもり)、いがみの権太、などなど。

一面の桜の美しい、狐の忠信と静御前の舞踊劇の「道行(みちゆき)」。
安徳帝の最期は、子役の台詞が、悲しみをそそるシーン。
自分の体に碇の綱を巻き付けて、海へ身を投げる、知盛の最期は壮絶です。
息子や、自分の命まで差し出して、守ったつもりの、主人の秘密も、義経には見破られてしまう、権太の悲劇

とても長いお話なので、忠臣蔵のように、一幕だけ上演されることも多いです。各幕の説明は後ほど、追加していきますね。



義経千本桜より 三段目  鮓屋(すしや) 

平家物語の「鮓屋」

平維盛といえば、平氏が義経たち源軍に追われて、都落ちするときに、妻子を巻き込みたくないと言って、都に置いて行ったこと、そして戦いが終結する前に、高野山に入って出家したことで有名です。が、歌舞伎ではちょっと筋が違っていまして…

平家滅亡のあと平維盛は、源氏の追討を逃れて「鮓屋」の弥左衛門の家に、下男の弥助としてかくまわれています。この家には「いがみの権太」という不良息子がいて、勘当されたにも関わらず、父親の目を盗んでは、甘い母親にお金の無心。今日も、上手くだましてお金をせしめたところへ、父親が帰ってきたので、手近にあった鮓桶にかくして、逃げてしまいます。(すしと言っても、この頃はにぎりではなくて、押し寿司の様な物だったのです)

弥左衛門はお宮仕えのつもりで娘のお里と祝言をさせるつもり、お里はそうとは知らず、美男の弥助に恋をしているので嬉しくてたまらない。その様子は可愛いくて、結構積極的。明日も朝が早いから、もう寝ましょう、と誘ったりします。「お月さんも、もう寝やしゃんしたわいなァ」「オオねむ、オオねむ…」 その期待に、困った弥助、実は妻子があると打ち明けます、そこへ訪ねてくるのが、妻若葉の内侍(ないし)と息子六代(ろくだい)。思わぬ対面に喜ぶ3人の様子を見て、事実を知ったお里は泣き崩れます。そこへ、権太がやって来て、お尋ね者を見つけた、金にする!とばかりに、維盛と妻子を連れて、ついでにさっきお金を隠した鮓桶を抱えて行ってしまいます。

何処でかぎつけたか、源氏の武将、梶原平三景時(かじわらへいぞうかげとき)が、弥左衛門の家にやって来ます。維盛を出せ、と詰め寄る梶原。そこへ権太が、維盛の首を携え、妻子に縄を掛けて連れて来ます。怒りに燃える弥左衛門夫婦をしりめに、ご褒美をせしめる権太。梶原が帰った後、弥左衛門は息子を刀で刺してしまいます。ところが、権太が息も絶え絶えに話すには…維盛のだと言ったのは、偽物の首。父弥左衛門が用意して、鮓桶に隠して置いた物を、金の入っている桶と奇遇にも間違えて、持っていった物でした。忠義心のあつい弥左衛門が維盛の首だといって渡しても、偽物だとすぐにばれてしまう。やくざ物の権太だからこそ、梶原がだまされて持って行ったのだ、というのです。合図をすると、変装をした維盛と妻子がやって来ます。ホッとした、弥左衛門、ではあの偽の妻子はと訪ねると、なんと権太の女房と息子だというではありませんか。この世でたった一人の嫁と孫とは!! そんなことなら、もっとよく顔を見ておくのだったと嘆き崩れる両親。
維盛も涙を禁じ得ません。せめて、源頼朝のかわりに、権太が褒美にもらった陣羽織を引き裂いてやろうと、手に取ると、そこには「内やゆかしき、内ぞゆかしき」と書いてある。羽織の縫い目をほどいてみると、中には袈裟と水晶の数珠が入っていました。なんと、梶原は始めから維盛を助けて、出家させるつもりだったのです。というのも、維盛の父重盛は、父が戦に負けて死罪になるところだった幼い頼朝を、伊東へ流罪という処分で命を助けたことがあるのでした。騙したと思ったら、こっちが騙されていた権太。 ああ、なんという悲劇でしょう。維盛は出家、内侍は六代をつれて文覚上人のところへ旅立ち、権太はついに事切れる、生き別れ、死に別れ、何とも歌舞伎らしい幕切れになります。


いやあ、かわいそうな上にもかわいそうなお話ですが、いかにも歌舞伎(元は浄瑠璃ですが)らしい理不尽さがあふれたお話です。泣いてください。
「平家物語」自体が、滅びの美学ですから、そう言う意味では、本歌の味も生かしているのでしょうか。それにしても作者達の想像力、これでもかとたたみかける悲劇、そしてどんでん返し、見事ですね。でも、これで権太が生き長らえていたら、もっと歪んだ人間になってしまったでしょうねえ。奥さんと息子はどうなったのかしら?



熊谷陣屋(くまがいじんや) 【一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)】

平家物語の「歌舞伎/熊谷陣屋」へ/平家物語の「馬/敦盛最期」へ/落語の「お神酒徳利」へ

これも名作ですよねえ。話し出したら止まらなくなりそうだけど、百聞は一見に如かず。いいシーンがたくさんなので、とにかく機会があったら是非見て欲しいです。

源平の戦いの最中、一ノ谷の戦いが終わって、源氏の絶対優勢。平氏には討たれる武士も続出している中、平経盛の息子、平敦盛も熊谷次郎直実に討たれて戦死。という状況での、熊谷の陣屋(戦中の仮住まいですかね)でのお話。

熊谷の奥さん、相模は禁を犯して、陣屋までやってくる。それも、初陣の一人息子、小次郎が心配で仕方がないから。熊谷にしかられて小さくなりながらも、小次郎の様子を聞きます。この、相模、武士の奥方らしく、毅然とした所と、息子が心配でたまらないお母さんの顔をもって、すごくいい役です。

熊谷は、小次郎の無事を告げ、さらに自分が、平敦盛を討ち取った事を話します。そこへ、いきなり斬りつけてきたのは、なんと敦盛の母、藤の方。怒りにふるえる、藤の方に、熊谷は敦盛がどんなに健気で、立派な最期だったかを、語って聞かせます。戦の習いとはいえ、悲しみに暮れる藤の方は、形見の笛を吹いて供養をします
この熊谷の語りの部分も、見所聞き所です、義太夫にのって、まるで戦いの様子を目の当たりにしているようです。

そこへ源義経登場。敦盛の首実検(斬った首を見て、本人か確かめること。桶に首だけ入っていて、作り物とは言え、結構グロテスクです。ただ、これがないと歌舞伎は成り立たない)になります。しかし、桶から現れた首は、なんと熊谷の息子小次郎の首!!

実は、敦盛は、後白河院の胤、天皇の息子になるわけで、義経としても殺すわけには行かなかった。そのため義経は、、桜の木の下に「一枝を切らば、一指(子)を切るべし」という謎掛けの制札を立てたのです。熊谷はその意をくみ、敦盛の身代わりに、同じ年齢の息子の首を切ったのでした。あまりの驚きに泣き悲しむ相模。自らの手で、一人息子の首を切らねばならなかった、熊谷の苦悶。観客の涙をそそります。

ところがそれを見ていた、義経を快く思っていない、梶原平次景高は鎌倉の頼朝へ告げ口しようと出ていきます。そこに手裏剣が飛んできて、梶原を倒したのは、石屋の老爺弥陀六(みだろく)、実は平家の武将、弥平兵衛宗清(やへえびょうえ むねきよ)だったのです。
この宗清は、義経が三歳の時、雪に凍えて死にそうになっている、常磐御前と義経親子を助けたことがあるのでした。それを覚えていた義経、助けた敦盛の入っている鎧櫃を、弥陀六(宗清)に渡すのでした。宗清は、藤の方とともに陣屋を去ります。

跡継ぎを失い、世を儚んだ、熊谷は義経に許しを得て、出家をします。幕がしまって、熊谷だけが、ひとり花道を去っていきます。ここで、涙の名セリフ「十六年はひと昔、夢だ、夢だ。」感動の幕切れです。

熊谷は、出来れば吉右衛門で見たい。だってすごくいいんですもの。声といい、姿の良さといい、情の入れ方といい、、、。今だったら、やっぱりピカ一だと思います☆

実は、この前に、熊谷と敦盛の戦いの場面「須磨の浦組打の場」があるのですが、長くなるので、それはまた別の機会にしましょう。



俊寛(しゅんかん) 【平家女護島(へいけにょごのしま)】

平家物語の「俊寛」へ平家物語の「和歌」へ

実を言えば、このお話はあんまり好きじゃないの。それでも、見る度にうるうるしてしまう、感動の物語です。

平家を倒そうとした計画がばれて、鬼界が島に流罪になった、僧俊寛と平判官康頼、丹波少将成経の三人。ぼろをまとって、食べる物もろくに無いところで、辛い生活をしている。しかし、今日は成経が、島の海女・千鳥と恋をして、祝言を上げることになった。久しぶりに嬉しい話題で、四人で喜んでいるところへ、都から、赦免の船が来る

大喜びもつかの間、船に乗れるのは、三人だけ、千鳥は乗せられない。泣き悲しむ千鳥を見かねて、俊寛は意地の悪い使者瀬尾太郎を殺し、その罪で島に残ると言う。都に残した妻が、清盛に殺された事を知った彼は、若い二人が引き裂かれるのを、見ていられなかった。出てゆく船を見送る俊寛の、情の深さと嘆きと、辛い心情が胸を打つ幕切れです。

なんだけど、衣装がぼろで、何とか千鳥が可愛いけど、あとはむさ苦しいの。主人公が特に、、、。おまけに、悲劇。もちろん、歌舞伎には悲劇も多いけど、かわいそうすぎるのね、きっと。



勧進帳(かんじんちょう) 

歌舞伎の中の歌舞伎。私の大好きな、狂言のひとつです。もう、思い出しただけでも、わくわく、ぞくぞく、してしまう感動の物語です☆☆長唄もいいしねえ。

歌舞伎の楽しみは、女形にあり、と思っている私が、どうしても「はずせない」この芝居は、なぜか(と言うか当然と言うか)女形はでてきません。義経が、優男なので、女形さんがやることが多いですが、女の役ではない。

お話は、義経が兄の頼朝に追われて、東北(陸奥の国)へ逃げていく途中のエピソード。弁慶や他の武士達が山伏に、義経が強力(ごうりき:荷物持ち)に変装して、関所を通ろうとする。しかし関守の富樫に疑われて、弁慶は主従では無い事を証明するために、義経を金剛杖で、たたいてしまう。弁慶の胸の内は、いかばかりか。
あまりに強い主従の絆を見た富樫は、頼朝に罰せられるのを覚悟で、義経一行を通してしまうのだった。

主人をたたくなど、死に値する罪と、ひれ伏す弁慶に、良くやってくれたと、感謝する義経。その、寛大な心に、涙して喜ぶ弁慶。ああ、感動のシーンです(;_;)

しかし、一番いいところは、タイトルにもなっている、「勧進帳」を読むシーンです。 「南都東大寺の勧進(焼失したので再建のための資金集め)」の旅と称して、関を通ろうとする一行を、関守の富樫は、怪しいと見て、勧進ならば、『勧進帳』があるだろう、読んで見せろ、と言う。弁慶は、とっさの機転で、白紙の巻物を読んでいるふりをして、高々と勧進の文言を唱える。さらに疑う富樫は、「山伏ならば『九字の真言』の秘事を教えろ」と詰め寄る。「疑いを晴らすために」弁慶は、真言の秘事をも見事に、言ってのける。
この間の弁慶と富樫、二人の緊張感が、最高の見せ場です。(あんまり好きなので、台詞だけなら、私も言える(笑)歌舞伎の台詞で、ちゃんと言えそうなのは、多分これだけ)

富樫がね、福助時代の、梅玉が良かったの。他の名優さんは、沢山居るけど、やっぱり、福助がいい☆ 弁慶は、やっぱり、吉右衛門がいい!!(そういえばNHKのドラマでも弁慶やってたね。)ああ、もう一度見たい!!です。

蛇足ながら、昔々の映画ですが「虎の尾を踏む男達」と言うのが、良かった。レンタルショップにもなかなか無いと思うけど、見つけたら、見てみてください。エノケンがもう一人の事情を知らない、強力の役で、客観的に見た勧進帳の物語になっています。ラストシーンが、良かったと記憶しています。



忠臣蔵仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)

「日本人なら誰でも知っている」、時代はもう過ぎたかな。でも、タイトルぐらいは知ってるでしょう。「赤穂浪士」なら解る?

江戸時代の、実話をもとにした狂言ですが、この時代は、実名を使えなかったために、室町時代の人物名を使ったのが、仮名手本忠臣蔵(四十七士がちょうど仮名の数で、武士の手本となる仇討ちをした。忠臣達が、最期に蔵の中で仇を見つけたから)現代に、テレビや映画で実名を使ってやったのが、赤穂浪士(赤穂の殿様が切腹、お家は取り潰しで、藩士はみんな浪人になっちゃったから)です。

ともかく、歌舞伎では「忠臣蔵」です。歌舞伎の中の歌舞伎。全幕やると、朝から夜までかかる。つまり、チケットを昼の部と夜の部、両方買わないと、全部見れない長さなの。 でも、通し上演は少なくて、一幕だけやることが多いですけど。ここに全幕の、題を書いておきますね。

〔仮名手本忠臣蔵〕
大序    鶴ヶ岡八幡宮社頭の場
二段目  建長寺書院の場
三段目  足利城外の場
       足利殿中松の間の場
四段目  扇ヶ谷塩冶館の場
       同  表門の場
浄瑠璃  道行旅路の花婿
五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
       同   二ツ玉の場
六段目  与市兵衛内勘平腹切の場
七段目  祇園一力茶屋の場
八段目  道行旅路の嫁入
九段目  山科閑居の場
十段目  天川屋義平内の場
十一段目 高家表門討入の場
       同 広間の場
       同 奥庭泉水の場
       同 炭部屋本懐の場
       領国橋引上げの場


ふう。こんなに、あったのね(笑)ちなみに国立劇場の会場二十周年記念で3ヶ月かけてつまり3回に分けて通しをやったのを見に行きました。(随分昔ですが)

では、これから少しずつ、ご紹介していきます。

忠臣蔵 四段目 扇ヶ谷塩冶館の場(よだんめ おうぎがやつえんややかたのば)

落語の蔵丁稚へ/落語の淀五郎へ

渋い。塩谷判官切腹の場。こだわりの幕です。大好き。 覚悟を決めた、殿様の、かっこよさ。奥方のたくは、女形の役者さんが、自前で調達して、いい物を焚くそうです。客席中に、広がる上品な香は、悲しみをつのらせるとともに、武士の潔さを伝えて、見る人の胸を締め付けます。(最近のファアンシーショップで売ってる安物とは訳が違うのよ、言っとくけど☆)

側に仕える、お小姓の力弥が、殿様を気遣いながら、父由良之助を待つシーン、時間になっても来ない重臣を待つ、判官の苦悩、とうとう腹に、短刀を突き刺したところへ、駆けつける、大星由良之助。断末魔の主従の対面。会話を許す武士石堂右馬之丞が、またかっこいい(最初に見たのが、片岡孝夫(現:仁左右衛門)で、最高に良かった(色男役より、武士の役の方が絶対いい!!)。

演じる人も、見る人も真剣な幕なのです。感動したいならこれ。ただし、予備知識がないと、眠くなるかも、、、静かな緊張の舞台です

忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場(しちだんめ ぎおんいちりきぢゃやのば)

落語の七段目へ

華やかな、お茶屋つまり遊郭の場です。見所がいーっぱいあって、楽しいです。

大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)は、仇の高師直(こうのもろのう)と世間をだますため、酒に溺れた生活を送っている。仲間の浪士達にさえ、本心を明かさないので、浪士達は不安で仕方がない。
今日も、血気にはやる若い浪士が、仇討ちを促しに来たり、赤穂の浪人仲間で、実は師直のスパイ、斧九太夫(おのくだゆう)が、本心を探ろうと、亡き主人の命日に、生ものを食べさせたりして、探りを入れてくる。

やっと彼らをまいた由良之助、息子の力弥(りきや)が持ってきた、顔世御前(判官の奥方)からの密書を読みはじめる。ところが、二階から、手鏡で外を見ていた、お軽(早野勘平の妻)に、縁の下からは、斧九太夫に読まれてしまう。

お軽に気づいた由良之助、身請け(お茶屋にお金を払って、遊女を自分の奥さんやお妾さんにすること)をしようと持ちかける。
ここがね、由良さん、イメージとしては、堅物だけど、けっこう好き者じゃないのって所です。いくらカムフラージュの為とはいえ、ただの演技だけじゃ、こう程良く色っぽいやりとりは出来ないでしょう。「英雄色を好む」ですかね(笑)

喜んだお軽は、偶然訊ねてきた兄の寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)に話をする。平右衛門は塩谷家の足軽で、仇討ちの仲間に入れて欲しくて、機会を探している所。この話を聞き、由良之助は、口封じのためお軽を殺す気だと判断し、お軽を殺して、それを手柄に仲間に入れて貰おうとする。(歌舞伎と言うのは、こういう考えを、平気で起こす世界なのよ)

はじめは、逃げ回っていたお軽も、愛しい勘平さんが死んでしまった事を聞くと、自分から首を差し出す。斬ろうとしたところへ、由良之助が止めに入り、仇討ちに加わる事を許す。そして、仇討ちを出来ずに、死んでいった勘平の代わりに、と言って、お軽の手を取り縁の下の九太夫を、刀で刺す

と言うのが、大筋です。由良之助とお軽の「じゃらじゃら」したやりとりや、平右衛門とお軽の兄弟の思いやりと忠義と夫婦の愛情の絡み合ったシーンなど、名場面。役者さんの見せ所です。由良さんは吉右衛門が好きだな。でも勘平も吉右衛門がいい。それじゃ、ただの吉右衛門ファンだって?そうかも知れない(笑)


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このページの背景は「千代紙つづり」さんから頂きました。
隈取りのイラストは「万華鏡」さんからです。