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平家物語の和歌 解説編

OPEN MAR.03.1999 UPDATE APR.26.1999


平家物語の中に書かれている、和歌、今様、漢詩、などを取り上げています。

歌の解釈《 》は、雰囲気と言うか、超意訳です。古典の教科書では無いし、なるべく本文を味わって頂きたいので。あしからず。

★関連記事のある「歌舞伎」や「馬」「人物」のページにリンクしていますので、そちらも見てね。



巻第二 康ョ祝言(やすよりのっと)平家物語の「俊寛」へ


平家を倒そうとした計画がばれて、僧俊寛と平判官康頼、丹波少将成経の三人は、鬼界が島に流罪になってしまいました。信心深い康頼は、途中で出家します。

そのときに、康頼が詠んだ歌。

つゐにかく そむきはてける 世間(よのなか)を とく捨てざりし ことぞくやしき

  《こんな事になるんだったら、早く出家しておけば良かった。》



巻第二 卒都婆流(そとばながし)平家物語の「俊寛」へ

康頼と成経の二人は、島の中の熊野権現や、那智の飛龍権現などに見立てたところへ、毎日参詣する日々を送っています。

そんなある日、康頼はお告げの夢を見ます。沖の方から白い帆を掛けた小舟に、紅の袴をきた二三十人の女の人たちの、今様を謡うのが聞こえます。

よろづの佛の願よりも 千手の誓ぞたのもしき
枯たる草木も忽(たちまち)に 花さき実なるとこそきけ
 (梁塵秘抄 佛歌)

  《いろいろな仏様がいらっしゃるけれども、千手観音の誓いは頼もしい。枯れた木にも、花が咲き、実がなるそうだ。(康頼の願いも、きっと叶えられるだろう)》

康頼は「…龍神はすなわち千手の廿八部衆のその一つなれば、もって御納受こそたのもしけれ」と、喜びます。また、別の日には、熊野の南木(なぎ=神木)の葉に、虫食いの穴が、歌になっている夢を見ます。

千はやぶる 神にいのりの しげければ などか都へ 帰らざるべき

  《神様にこんなにお祈りをしているのだから、都へ帰れないはずは無い》

度々見る夢に、都への思いが募る康頼は、千本の卒塔婆(上の部分が塔の形になっている細長い板)を作り、梵字の「あ」字と年月日、名前と、二首の和歌を彫りつけて、海へ流します。

さつまがた おきのこじまに 我ありと おやにはつげよ やへのしほかぜ (千載集)

おもひやれ しばしとおもふ 旅だにも なをふるさとは こひしきものを (玉葉集)

  《潮風よ、私は薩摩の沖の小島に生きていると、親に知らせてくれ》

  《しばらく出る旅でも、故郷が恋しいのに、島に流されている私は、どんなに都へ帰りたがっているか、思いやってください》

この中の一本が、安芸の国厳島神社に流れ着きます。それが後白河法皇の手に渡り、「ああ、彼らはまだ生きていたのか」と、法皇は涙を流されます。(謀反の計画には、法皇も関わっていたので、感慨はひとしおでしたでしょう)
さらに清盛に報告されて、京中にこの歌が広まったと言います。清盛をも感動させたこの歌は、直接は、書かれていませんが、恩赦のきっかけになったのではないでしょうか。

平清盛の娘、建礼門院の安産の祈願の為に、恩赦が行われて、康頼と成経の二人は、帰ることが出来ました。



巻第九  二度之懸(にどのかけ)  平家物語の馬へ

この章は、平家物語では、とかく悪者の梶原平三影時(かじわら へいぞう かげとき)と長男源太(げんた)次男平次(へいじ)親子の話。『一人当千の兵(いちにんとうぜんのつわもの)』梶原平三影時も、血気盛んな息子達のために、ハラハラしどうしです(笑)詳しくはこちらでどうぞ。

この歌は、命令を無視して、どんどん先に行ってしまう息子を、止めようと送った使者に対しての、平次の返事です。

もののふの取り傳へたる梓弓 引いては人のかへすものかは

  《一度放った矢が戻らないように、私も引き返すことは出来ません (すごい意訳(*^_^*))》



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このページの背景は「Queen's FREE World」さんから頂きました。