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うま日記メモ

OPEN JAN.31.2003

ここは「藤木ときどき日記」の中から、主な物を(自分のメモのために)抜き出したページです。ときどきまとめて増やします。最後の日付以降は「藤木ときどき日記」にあります。マークが目印。のぞいてみてね。



'03年1月26日(日)「ようこそ先輩〜的場均」、ケッテイ
今日はテニスの男子決勝とミックスダブルス決勝を見てから、第19回CSI東京を見て、そのあと「ようこそ先輩〜的場均」を見て、その合間にお相撲まで見て、テレビ漬けでした。
元騎手で調教師の的場均の番組は面白かったです。母校の小学生に3日間の特別授業をする、という物ですが、今回は「引き馬(馬を綱で引いて歩くこと)」が出来るようになるのが目標でした。乗馬クラブにいるようなおとなしい馬でなく、競馬の馬なのだろうから、結構大変そうでした。それでも、こども達はおっかなびっくり馬にさわるところからはじめて、馬を引いて歩くことが出来ました。的場先生はまず、ライスシャワーの勝った時のビデオを見せました。はじめて乗ったときは強くなるとは思わなかったこと、大きなレースで調子がいいと思いながらも、ここでスパートして勝てるかどうか、迷っていたとき、馬が自分からスパートして必死で走って勝ってくれたこと、など、馬は人の気持ちがわかるんだよ、という話をしまていました。その後牧場に連れていって馬にさわらせ、厩舎での作業をしたあと、翌日は、そのライスシャワーの事故の時のビデオを見せるというやり方をしていました。ほんの少しでも馬にさわり、自分の担当馬を決め、名前を覚えて話しかけたりした後に、馬がひどい事故でたおれて、安楽死になった映像を見せられたら、それはショックだったことでしょう。自分の思いを話す先生もうるうるしていました。でも、その後に、馬にブラシをかけに行ったこども達の馬に対する態度は、おっかなびっくりさが減って、代わりにパートナーとして向き合おうという姿勢になっていたようです。馬の性格もそれぞれ違えば、こどもの性格もいろいろで、それも見ていて面白かったです。30分ぐらいの短い番組でしたが、もっと色々な映像を見てみたかったです。
2月1日(土)NHK教育 午後4:15〜50(再放送予定)

さて、昨日の日記にかいた「ケッティ」ですが、気になったのでネット検索してみました。ところが、また思うようなのがありません。騾馬が漢字であるんだから、ケッティだってあるはずだと思い、手持ちの漢字辞典で馬編の字を総ざらい(笑)してみたら、ありました、どうやらそれらしいのが。「けってい」で「い」の字は大きいようですね。私の持っている本では小さく見えたんですが。でもこれだと、さらにネットで引っかかるHPは少なくなります。一カ所だけ、中国語の動物の名前を載せているサイトさんで、同じ文字で出てきたので、どうもこれで良さそうです。
つまり、中国語から来ているようです。しかし!この漢字はこのパソコンでは表示できません。馬偏に決の旁の部分で「けつ」、馬偏に提の旁の部分で「てい」、これが中国語の「hinny」です。私の手持ちの辞書にはこれも載っていません。日本では、騾馬でさえ少ないのに、まして実用性のほとんどないといわれる「けってい」は、載らないのですね。でもこの中国語の意味にはもう一つ「速く走る馬」という意味もあるようで、不思議な気がします。「快速」の快の字も、はやいという意味ですよね。

ちなみにこの騾馬やケッテイは繁殖能力がありません。完全に人間の都合で生産される動物です。
騾馬は、馬より小柄で耳が少し長くて、かわいいですよね。性格がおとなしく粗食に耐え辛抱強いために、わりと多く生産されているようです。ケッテイはその逆の個性を持つためにほとんど生産されないそうです。これは、親が雌の場合に出る特徴、雄の場合に出る特徴、というのが遺伝子にすり込みされていて、必ずこのように出るんだそうです。
馬に限らず、人でも他の動物でもそのようです。人間の人工授精とかそういう問題にも関わることのようです。遺伝子ってのは、難しい問題なのですね。

'03年1月20日(月)〜21日(火) 芦毛馬

ヨーロッパから来た会員の人に、芦毛馬の事を聞いてみました。日本語が上手で英語も堪能なんだけど、「gray horse」と「white horse」を英語でどう使いわけるかは、よくわからないそうです。ドイツ語や、オランダ語では他の言葉を使うようなので。日本語だって「芦」の字には色の意味はないものね。

'03年1月3日(金)〜5日(日)ハリー・ポッター「アズカバンの囚人」

「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を人様に遅れて、やっと読みました。妹が、3部「アズカバンの囚人」を読んでからの方がいいというので、一緒に借りて読みました。
おまけについていた「ふくろう通信 号外」に翻訳者の松岡佑子による『翻訳者はつらいよ』というのがありました。ハリーのお母さんは、いじわるな養い親のおばさんの姉か妹かで、1.2.3巻が逆転しているそうです。はじめ妹と訳して、後で作者に確認したら姉だったそうです。でも、作者としてはどちらでも物語に影響は無い、と言っているらしいです。私も全然気にしていなかったんだけど、さすがに、これだけ売れてしまい、ましてや大人の読者が多いと、他にもいろいろあるんだろうなあと思いました。『姉が意地悪で、妹はかわいい、という固定観念を忘れてほしい』とも書いてありました。
私が気になったのは、やっぱり3部「アズカバンの囚人」のカドガン卿ですよ。ストーリーにはあまり関係無いんですがいい味出してるキャラです。その、鎧兜をガチャつかせた、誰かれかまわず決闘を挑む、怖れ知らずのずんぐりした小さい騎士は、「仔馬」に乗っているんです。う〜ん魔法の絵だからいいっちゃいいけど、そのままポニーにすればいいのに、と思ったら次には「ポニー」になっていて、その次はまた「仔馬」に戻っていました(笑)いえ、私は投書はしません。原書読んでないし。ただの日記のネタです(笑)


'02年12月27日(金)民間信仰〜馬と猿

馬と猿の関係をネットで検索してみました。でも、これが意外と思うところにあたらない、「縁起」とか「由来」ではだめで、あたりは「厩(うまや)」でした。それでも、やっぱりあまりはっきりしたことは見つかりませんでした。

まず、有名なところで、日光東照宮の「みざる、いわざる、きかざる」など一連の彫刻は、御神馬の厩に施された彫刻だったのですね。猿は馬の守り手で、病を癒してくれる、という民間信仰が基本になっています。その、もとはどこから来たかというと、どうもやはり仏教と一緒で、インドが発祥で中国経由で日本に来たようです。梁塵秘抄などの歌にも、関連したのがあります。絵馬や、郷土民芸品にも「馬を引いた猿」の図は多いです。また、厩舎の絵には、猿がつながれている絵もあります。
さらに、猿好きの方がいたら伏せ字になりますが、「厩猿(まやざる)」と言って、昔は猿の頭骸骨(と左手?)を、厩の梁に祀るという風習があったようです。これも、守り神としてです。
馬頭観音は有名ですが、「馬櫪神(ばれきしん)」という神様もいらっしゃるそうです。中国から来た方で、弓矢で馬を守り、猿と鶺鴒がそのお使いです。鶺鴒は馬を刺す害虫であるブヨなどを食べてくれるのです。

馬の「午」は火を表し、猿の「申」は水を表していて、気の荒い馬を鎮めるという意味や、火事から厩舎を守る、という意味もあるようです。
「猿回し」というのがありますね、現在では猿の芸を見る物ですが、あれは正月などに、安全を祈願して厩の前で猿を舞わせたのが、元だそうですよ。始めて知りました。馬は、農耕だけでなく、武士にとっても重要でしたから、江戸時代など武家の家に招かれたとか。

猿は帝釈天のお使いという説もあって、中国では悪魔退散の意味から、あの、玄奘三蔵も馬の鞍に猿のぬいぐるみをつけていたと言われているそうです。孫悟空の話は、そこに題材をとったのではと、言われているんだそうです。
いつものBBSで、Oさまが、孫悟空が弼馬温だったのに、関係があるのでは?とヒントをくださったのですが、なるほど、その通りだったのですね。

また、語呂合わせでは、馬と猿で「勝る(まさる)」とか、中国語では「馬上瘋猴」マーシャンホォンホウ(馬上に狂った猿が乗っている)は「馬上封侯」マーシャンホォンホウ(ただちに侯に封ぜられるだろう)の意味だとか、いろいろ縁起担ぎの意味もあるようです。

あと、落語のページがわりと多くヒットします。『厩火事』です。そうそう、あれに「麹町の猿」が出てきますね。本当の猿ではないのですが、「麹町に、さるお大尽がいて…」というのを、慌て者の女の人が、まあ「猿が?」と言うところがあります。あれって、その民間信仰をふまえていたのね〜、ぜんぜん気がつきませんでした。

そんなところが、だいたいのところです。

'02年10月20日(日)〜22日(火)「7歳の老馬」

ネットで検索しながらたどり着いた所に、たまたま書いてあったの、もう何処だったか戻って調べることも出来ないんだけど、観光案内なのか、馬には関係ない人が書いたらしいです。外国の牧場の説明だったと思うんだけど「その牧場には、7歳以上の老馬しかいなかった」というような記述がありました。それって『そこには、28歳以上の老人しかいなかった』というような意味ですが、解ってました?なんて(笑)
馬の1歳はだいたい人間の4歳くらいと言われています。競馬の4歳なんてまだ子供なんだけど、一番強いときに勝利成績の記録を終わらせた方が種付料が高くなるので、特に強い馬はその辺で引退する事も多いわけですね。だから、日本人には「引退=老馬」感覚の人が得てして多いのでしょう。競馬でも「古馬(こば)」という言い方はするけどさ、ベテランみたいな意味だよね。馬術だと、7歳じゃまだ新人。いや、競馬だって、障害レースは大人にならないと勝てないので、まだかけ出しですよね。
なんて、専門外の事を書くのって大変だなあと思いました。

追記 2003.01.31…イギリスの固定障害競馬は、6歳以上でないと出走出来ないそうです。
障害飛越や馬場馬術競技などでは、10歳程度だと「若い馬」と言われることもありますね。少なくとも、「経験の浅い馬」というのは共通の認識になるようです。もちろん、サラブレッドでもそうです。

'02年9月24日(火)〜25(水)腹帯をいやがる馬

乗馬クラブの大きな櫻の木から、黄色い葉っぱがちらちら落ちてきます。金木犀ももう満開でいい香り。
この頃、馬の話を書いていませんが、週に一度は乗っています。今日は久しぶりにレッスンを受けました。マジックだわ。なんで先生が何か言うだけで、こんなに馬が変わるのかしら。馬自身が先生を気にしているのもあるんだけど、人間も先生の前で緊張してまじめに乗るせいかしら。本当は自分だけで乗っても、このぐらい馬を動かしてあげなければいけないんだけどね。知れば知るほど難しいです。だから楽しいんだけど。

今日はお馬の事でまた新しい事を覚えました。腹帯をいやがるお馬さん。いやがるだけでなく苦しさのあまり、膝をついて倒れそうになってしまうのでした。それも、つなぎ場に立っていて急に。倒れては大変なので、あわてて起こすのですが、馬自身もパニックしてしまって、こっちもどうしたらいいかわからない。遠くにいる先生の声は、馬の蹄が床を蹴る音で聞こえないし…。そういう時は、腹帯をゆるめて、歩かせるのがいいのだそうです。でも、実際腹帯はこれ以上ないほどゆるゆるだったので、苦しんでいるのが腹帯のせいだと思わない私たちは本当に驚いてしまいました。彼女は休養開けで1ヶ月ぶりだったので、よけいそうなってしまったそうです。本当に、まだまだ知らないことが沢山あります。

'02年8月3日(土)馬の背中

テレビで映画「黒馬物語 ブラック・ビューティ」をやっていました。ショーン・ビーン(映画「ロード・オブ・ザ・リング」のボロミア役)の笑顔だけ見たら、後は録画だけにしようと思っていたのに、結局全部見てしまいした。いつ見ても、泣けるラストです。ジンジャーはかわいそうだったけど…

馬の本を読むと、馬が人が乗るのに適している理由の一つとして「背骨をほとんど曲げずに走ることができる」と必ず書いてあります。それがすべてと言ってもいいくらい、重要なポイントですね。早く走る動物で有名なのがチーターですが、馬があんな風に背中を曲げて走るなら、大きさがちょうど良くても、人に慣れたとしても、上に乗ろうとは思わなかったでしょう。
「黒馬物語」の中では、馬達がなんの馬具もつけずに、自由に走り回っているシーンが沢山あります。首を大きく前に伸ばし、長い四本の足と腰を巧みに動かしてバランスをとり、なるほど背中は、ちょうど人が乗る部分だけは、本当に動かない。改めて、しみじみしてしまいました。本当に、人を乗せて、人と共存してくれる為に生まれて来たような動物なんですね。だからこそ、大切に付き合って行きたいと、改めて思ってしまったのでした。

'02年7月10日(水)サイドサドル Side-Saddle

BSの海外ドラマで3夜連続で「紅はこべ」をやっていました。フランス革命のあと、フランスから貴族を救い出す義賊?実はイギリス人の貴族で、船でフランスに行っては誰かを助けて来ると言うお話。原作読んでいないので、理解はそのくらい(笑)悪役のロベスピエールが面白かった、ギロチン模様のボタンの服を着ていたりして。

もちろんその時代ですから、軍隊じゃなくて国民衛兵?やらは馬に乗っています。馬具では変わったシャンボンみたいなのもつけていたけど、さすがに動いていてよくわからない(笑)
女の人も何人か乗っていたのですが、これが皆、男の人用の鞍にまたがっていたのでした。ギロチン夫人と言うあだ名の人はまだ性格上いいとして、貴族のマダムやお姫さまも。お友達のYiさんによると、盗んだ馬だったからでは、とのこと。なるほど、ただ「女性用の馬を用意しろ!」と言って連れて来られた馬も、普通の鞍だったのよね。

フランス革命というと漫画「ベルサイユのばら」ですが、はじめの方にアントワネットが乗馬の練習をしているシーンがあったけど、どんな鞍だったか覚えていない。「緑のディアーヌ」では確かにサイドサドル(女性用の横乗りの鞍)で、狐狩りかなにかで走り回っていたわね。

そんなわけでWeb上をいろいろ検索してみたんだけど、日本語のサイトでは、引っかかるのは自分の所ぐらいなの…ははは、これです。あとこれか。

追記 2003.01.31 「サイドサドル」「横鞍」でヒットする日本語サイトもだいぶ増えたみたいです。興味のある方はお試しになっては。

英語のサイトはさすがにいろいろありました。文章を読むのはちょい苦手なのですが、ざっと読んだところ疑問の解決にはなっていない。でも、映像がたくさんあって、ちょっとうれしかったので、自分のメモの為にもリンクしておきます。
日本でも、ホースショウなどではデモンストレーションがあるし、やっている人はいるのですがね。ただでさえ、乗馬はマイナーだし、さらにサイドサドルとなると探すのは大変なのかな? でも、一度乗ってみたいです。

★写真、イラストなど映像も豊富、リンクも充実しています。「Overseas Photos」の中には逆側のサイドサドルの写真もあります(はじめ裏焼きかと思ったもの)。ただし「乗り方 Mounting」のビデオはちょっと疑問有り。
http://members.optusnet.com.au/~bradnic/index.htm

それで解ったことは、シャンティイの博物館にあった後橋(こうきょう=鞍の後ろの高くそりあがっている部分)の高い物が特殊で、イギリスの王室ので見つけた後橋が平らな方が、現在使われている、サイドサドルの形のようです。


'02年6月22日(土)〜6月24日(月)四代目尾上松緑襲名

24日は歌舞伎にいきました。四代目松緑の襲名披露。「其小唄夢廓」にはお馬が出てきました。控えめな首の動きなど、なかなかリアルなのよ。俗に「馬の足」とか馬鹿にする言葉になっていますが、どうして難しそうです。馬の着ぐるみに人が二人入って、上には役者を乗せて歩くのです。たいてい偉い役者だから、さらに大変そう。今回は団十郎の権八が刑場に裸馬に乗せられて花道から入ってきますが、栗毛のお馬は側対歩でした。つまり前後の足が同時に出るので振動が少ないの、歌舞伎の馬っていつもそうなのかな?今まで気がつきませんでした。今度あったらまたよく見てみよう。

歌舞伎の馬の絵が「ゆりこのお絵かき」にあります。

'02年1月8日(火)〜12日(土)未来の乗り物

NHKで「課外授業 ようこそ先輩」という番組を見ました。各界の有名人が自分の母校で小学生を教えるという物。歌手の人なら歌をおしえたり、森下洋子さんのバレエの回もあったみたい。いつも面白そうだと思いながら、たいてい見逃しているのですが、今回は「馬」の文字にビデオをセットして見ました(笑)
先生はアーティスト八谷(はちや)和彦。ポストペットを作った人だそうですね。タイトルは「馬に乗ったら未来が見えた」となっていました。ジェットエンジンの乗り物等を作ってみた彼は、燃料を沢山消費する事に疑問を感じ、さらに2000年にモンゴルで馬に乗ってみたときに、未来の乗り物はこれだと思ったそうです。佐賀県の母校の小学校で3日間、長崎で今も実際に荷物を運ぶ仕事をしている馬を借りてきて、世話をしながら乗ってみる、と言う体験をするのでした。馬は2頭でしたが、一頭にはモンゴルの鞍をつけていたわよ。八谷氏のマイ・サドルらしい☆
授業前は空飛ぶ乗り物等を描いていた子供達が、最後の発表では自転車式のバスを考えたり、面白かったです。授業前から、未来の乗り物が「馬車」としていた子供がいたのにはびっくりでした。彼は最後の発表では、ボロ(糞)のリサイクルや臭いの問題解消などを提案していました(笑)実際に触れてみて感じたんでしょうね。「道は舗装道路ではなく、馬が歩きやすい土の道になる」と未来を表現した子供がいたのには、どろんこ道がだんだん無くなって、狭い路地までくまなく舗装されてしまったという経験をしている私には、ジェネレーションギャップも感じたのでした。
この高速道路がびゅんびゅん走る日本で、いきなり馬社会になるとは思えませんが、少しでも自然や土の道路がある地方から、馬が実用化されるようになるってのはどうかしらね。それがだんだん都市部に及んで行くというのは…。

モンゴルでは、当たり前ですが、移動手段の乗り物として馬が舗装道路を、自動車と一緒に歩いていました。馬車もいました。もう10数年前ですが、中国でも郊外では、農作業用の馬車が観光バスの横を歩いていました。日本でも、まだ実用の馬車があるのかなあ。番組の中の馬は、現役で荷役の仕事をしているお馬さんでした。
長野とか前に行った木曽でも、観光乗馬の馬が舗装道路を歩くことはありますが、実用とは違いますよね。私の行っている乗馬クラブも開設当初は会員の人たちが、道路に出て歩いていたそうです。でも、実用とはちょっと違う…


'01年11月2日(金)〜3日(土・祝)エンデュランス

終電でへとへとのへろへろで帰ってきたのに、ビデオにとってあった「地球に好奇心」を見てしまいました。今回はアメリカ人の12歳の少女を中心に、家族ぐるみで参加する人々を追う形になっていました。この前の「にんげんドキュメント」より時間も長かったので、馬の映像やコースも更に詳しく見ることが出来ました。それにしても、ハードな大会ですね。
暗い内からスタートして、炎天下、そして夜中の月明かりの下、ほぼ24時間走り続けるというレースを考えた人も凄いけど、それが何十年も続いていて、何百人もの参加者がいると言うのも凄いですね。主人公の少女の家では、今も元気な曾おばあちゃんをはじめ7人の完走者がいるのでした。「完走」した参加者は全員ウイニングランが出来ると言うのも、この過酷さを考えると当然かも知れません。今回、優勝者は2番手に2時間の差をつけた40代の女性。獣医さんと言うことで、馬の体調管理は万全だったのでしょうが、馬も凄いなあ。

このレースはゴールド・ラッシュ時代に、馬を使った郵便制度「ポニー・エキスプレス」をしのんで作られたそうです。そう言えば以前NHKで「ヤングライダーズ」というドラマをやっていましたが、あれはポニー・エキスプレスの青年たちのお話でしたね。長い距離の間に、駅がいくつもあり馬が沢山いて、手紙をリレー式に運んで行くシステムだったそうです。
更にはるか昔、チンギス・ハーンのころのモンゴルでもこのシステムがあって、ものすごい速さで情報が伝達されていたと言いますね。日本ではどうだったのだろう。つい郵便というと「飛脚」を思い浮かべてしまうけど(笑)平家物語のなかには「早馬」というのがでてきたなあ。今度調べてみます。

00年12月25日(月)馬のいる生活
NHKの「地球に好奇心」という番組で、アイスランドの馬追いをやっていました。夏の間氷河の麓に放牧してあった1千頭の馬を、数件の牧畜農家が共同で馬に乗って探しに行き集めてくるという作業。気の遠くなるような広さの土地と厳しい気候の中で、馬たちはたくましく生きていました。マイナス4度でも、病気で無い馬には馬着は着せません。昼間は30度にもなる、寒暖の差の激しさも、馬を忍耐強くしているのでしょう。この国は、昔の日本とは逆に、外国の馬を入れるのを禁止しているために、古い馬の種が守られています。モンゴルのや木曽馬くらいの小さくて耐久力のある馬達で、海外のトレッキングなどの馬として、輸出されているそうです。
主人公は、15歳の女の子。自分の馬で友達と川遊びに出かけて、馬に乗ったまま川で泳いだりしていました。馬追の途中では、川で馬と一緒に首を伸ばして水を飲んでいました。競馬のサラブレッドとは、全く違う、生活の一部になっている馬です。あまりにも違う馬の文化に、感動してしまった私でした。

00年12月24日(日)競馬ファンと競走馬ファン 
今日は競馬ファンの祭典「有馬記念」でした。昨日はゆったりと観戦できた中山競馬場も、今日は満員電車なみの混雑。もちろんテレビで見ただけです(笑) やっぱりテイエムオペラオーでしたね。私としては、メイショウドトウくんに今度こそ勝ってほしかったのだけど…

昨日競馬場の帰りに、食事をしながら話していて、わかったことがありました。私は、競馬場に行く人や馬券を買う人はギャンブラーだと思っていたのだけど、どうもそうでは無いらしいです。本当にギャンブルをする人は、馬の名前ではなく番号で、賭けるんだそうです。(これはSさんのご主人の説)確かにレース中もゴール前で「7番いけー!7番!」などと叫んでる人がいましたわ。競馬ファンはその時々のレースを楽しむ。今度の有馬記念はどんな馬が走るのだろう、誰が勝つのだろう、それに馬券を買うことも含まれます。競走馬が好きな人は、好きな馬が出ないと、いまいちレースに興味がわかない。ということで、Pさんは『競馬ファン』で、Sさんは『競走馬ファン』なのでした。もちろん私はどちらでもなく、あえて言うなら『馬文化ファン』でしょうか(笑)「競馬は面白い」でも「競馬が好き」でも無く「競馬も楽しい」というわけです☆(助詞の違いに注目) とにかく、馬の見方も楽しみ方も三者三様、とても楽しい馬仲間なのでありました。

00年10月1日(日)近代五種
オリンピックの近代五種競技(モダン・ペンタスロン)をテレビで見ました。話には聞いていたけど、本当に凄い競技ですね。トライアスロン(水泳・自転車・マラソン)も体力的に凄いけど、こちらは5種目、それも色々な違った要素が入っているのでした。軍隊の将校の仕事を想定して作られたとか、敵陣を偵察に行くのに必要な要素だそうです。「ピストル・フェンシング・水泳・馬術・ランニング」 敵と撃ち合いをして、弾がつきたら剣で戦い、川を渡って戻る、将校だから乗馬も必須、最後には自分の足で陣地に還る、という理由で選んである、近代オリンピックの祖、クーベルタンさんが考えた競技とか。男女ともありますが、今回両方とも日本の参加はありませんでした。

冷静な集中力を要するエアピストル20発、緊張の高まる個人戦フェンシング(エペ)は、一ポイントで勝ちとは言え、総当たり戦で24人出場だから23試合!!会場を移動して水泳は200m自由形、自分のテンションだけでは勝てない、馬術は貸与馬による障害飛越、最後に3000mのランニングは見ているだけでへとへとです。
馬術とランニングが行われたのは、野球のスタジアムで、映像的に情けない物があました…馬場が5角形をしている!? くねくねと馬術の障害の間とフィールドを走るのって、これが正式競技なのって、かわいそうな気がしました。

馬術は、主催者の用意した馬が、抽選で割り当てられます。初めて乗る馬で、練習時間は20分だけ、もちろん障害飛越競技馬ですから力もあるし、その馬毎に性格の違いもある、それを制御するだけでも大変なのに、冷静な誘導をしなければいけないし、勝負がかかっているから緊張で堅くなる、でもそれが馬に伝わってしまうと、失敗につながる。ハイライトで数人だけでしたが、はっきり明暗が分かれていました。持ち点1100点から、一落下(障害が足に当たって落ちる)でマイナス30、拒止(馬が障害の前で止まる)でマイナス40点、タイム減点は1秒超過毎に3点。馬術競技の障害と違って、拒止の方がマイナスの点が高いのは、偉いと思ってしまいました。馬が止まるのは、騎手の誘導の失敗だから、減点が多いのは道理だと思いませんか?
それぞれのタイムなどは、もちろん専門の選手には及びませんが、一日でこれだけをこなす、体力とさらに精神力は、凄い物だと思いました。でも、見ている方は面白いです。今回のテレビ放送で一番面白かったかも。

ちなみに、馬場馬術はドイツ5連覇ならず、だったそうですね。見たかったよう。

00年9月9日(土)一個人に出来ること
話は全然違うかも知れないけど、動物愛護の問題も似たような物かも知れないと、ふと思ってしまいました。犬が捨てられたり、動物が殺されたり、動物に関する色々な事件が報道されたりすると、胸が痛みます。また馬に乗っている人間としては、乗馬自体がある意味虐待ではないかと思ってみたり。鎖につながれた犬は、幸せなのだろうかと、思ってみたり。でも、たいていの飼育されている動物は人の手によって人に飼われる(共存する)為に「生産」された存在なのですよね。野生のを捕まえて来たわけではなく、その親も野生ではないのが普通。「飼われる」しか、いきる方法がない環境に生まれて来たのです。であれば、人としては、その環境の中で出来るだけ、彼らによくしてあげたいと思うのでした。全部の家畜に、私一人が何を出来るわけではないけれど、少なくとも手の届くところにいる動物達に、ですね。

00年8月23日(水)皇妃エリザベートの馬術
ちまたでは「エリザベート」が流行っている、お芝居関係に疎い私は良くわからない。エリザベートさんという人も良く知らないので、文庫本を一冊買ってみたけど、ドラマ的な書き方ではなかったせいか、あまり面白くなかった…です。
この人のお父さんが、自家用のサーカス小屋で自分で曲乗りをしてしまうほどの、乗馬好き。エリザベートさんもそのお父さんから手ほどきを受け、曲馬なみの乗馬技術だったそうです。もちろんこの時代だから、女性用の鞍に横乗りです。それで、障害を飛び越え野原を駆けめぐる、狩猟をするというのだから凄い。それもアイルランドの起伏の激しい荒れ地や石積の塀を飛び越えるのがお気いに入りで、イギリスのは平坦すぎてつまらなくなってしまったそうです。(神学校の塀を飛び越えて、校長先生とぶつかりそうになったこともあったとか)横乗りで崖を滑りおりたり、柵を飛び越えたりって…凄すぎる…お付きの人も大変だったでしょうねえ。でも、楽しそう☆

00年8月22日(火)「競走馬私論 馬はいつ走る気になるか」読了
競馬だけでなく馬が好きな人には、是非読んで欲しい、お勧めの一冊です。JRA調教師 藤澤和雄/著 クレスト新社。最近ではタイキシャトルの仏GI勝利が有名ですが、私にとっては競走馬の中の競走馬シンボリルドルフがいたころの野平調教師の調教助手をしていた人でもあります。

詳しくは「馬の映画&本」のページに紹介してあります。

余談になりますが、この本を読んでいて、ディック・フランシスの小説の一節を思い出しました。ある厩務員の女の子、彼女はとても馬を大切にしてかわいがっています、そして他の人がこう言うんです「彼女が世話をした馬は、みんな良く走るんだ」。

00年8月17日(木)コマドリ
『だあれが ころした クックロビン』って御存知ですか? 「パタリロ」?(笑) やっぱり「ポーの一族(小鳥の巣)」ですよねえ。あー、両方とも御存知ない方は、マザーグースでしょうか。谷川俊太郎訳では『だれがこまどり ころしたの』となっていましたかね。
コマドリって、鳴き声が馬に似ているから『駒鳥(知更鳥とも書く)』というんですって。今日はじめて知りました(*^_^*)

00年8月8日(火)ロデオ
話は変わりますが、夜にBSでロデオの番組をやっていました。今まで、スポーツチャンネルでロデオの競技会の番組は見たことがあったけど、参加する人に対する取材のようなのは、あまりなかったので面白かったです。
ロデオにも色々な種目がありますが、たとえば裸馬に乗る競技は『片手で馬につけた綱のような物につかまって、暴れる馬に8秒間乗っている』という物で、私は今まで、ただ落ちなければよいのだと思っていたら、そうでは無いそうです。乗り手が拍車を馬の肩にあてて、出来るだけ高く馬が後ろ足を蹴り上げるようにすることと、乗り手も馬の動きに合わせて自分の足を高く振り上げるものなんだそうです。その、パフォーマンスに対する採点(馬50点、人50点)で成績が決まるんですって。馬は自分のではなく、主催者側が用意したものなので、良い馬にあたるかどうかも、運があるようです。良い成績を収めた競技者はみんな、馬が良かったから良い成績になったと口々に言っていました。そういう目で見ると、跳ねる馬の動きは、ヨーロッパの古典馬術の「クルーパード(後ろ足を後ろにまっすぐ伸ばした跳躍)」に似ていなくもないな、と思わせる物もありました。

00年5月30日(火)薔薇を愛でる馬
今日乗ったのは、まじめで可愛いATHくん。終わって人参をあげていたら、隣の馬房の馬にスタッフの女の子が、白くてふわふわした物をあげていた。なあに?ときいたら「バラの花びら」だって。なんて耽美なお馬さんなんでしょう。試しにAMくんにあげたら、やっぱり食べた(笑)でも、彼の場合は人参の方が、より嬉しい、という顔をしていたけれど…

00年4月29日(土)偉大な調教師
BS2のオペラのビデオ予約をしていたら、「世界わが心の旅」が始まった。なんと以前見逃してしまった、野平調教師のフランスの旅の再放送。あわてて録画のボタンを押してしまいました。その時点では、後で見るつもりだったのに…結局そのまま全部見てしまいました。去年エルコンドルパサーが出走した、凱旋門賞にちなんでもあるのだろうけど、競馬界引退の記念に思い出の地にもう一度、という物でした。

野平調教師は30年前に、日本人で初めて、凱旋門賞にスピードシンボリで出場、成績は着外だったけど、それをきっかけに、フランスで3年間勉強し、日本人で初めてフランスで勝ったのも彼だったそうです。すごい人だったのですね。あの、シンボリルドルフ(私の中では一番偉大な競走馬なのです)の調教師でもあるんですね。スピードシンボリは、有馬記念2連覇をした強い馬だったのに、フランスに持って行って、競馬にならなかった、という状態でした。それを、野平さんを先駆けとして、日本競馬が成長した結果が、エルコンドルパサーの見事な2着入賞だったのですね。
若い騎手を見る目や、乳離れ後の仔馬の中に良い馬を探してしまう様子など、本当に馬が、競馬が好きなんだなあと、当たり前なのに、なんだかあらためて思って感動してしまったのでした。
凱旋門賞の後のロンシャン競馬場で、ひとりターフに立って言っていた『もし、もう一度生まれてきても、また同じ事をしたい』というのは、月並みな台詞だけど、そのやって来たことを振り返った後では、とても実感のある一言でした。

昨年私が旅行で行った、シャンティイーは競馬関係の施設がたくさんあって、そこに野平さんは住んでいたそうです。調教用のコースは100もあるんだって、すごいですねえ。

00年1月5日(水)やきもち
「馬も、やきもちをやくんですね」と言われてしまった。やくんです。犬だってやくでしょ、猫はどうなのかな、馬に言わせれば「人もやきもちをやくんだね」って、言うかも知れないです(笑)一頭の馬と遊んでいると、隣の馬も遊ぼうと首を伸ばしてきたり 隣で人参をもらっていると、もらえなかった子は、すねてしまったり、もちろんクールにきめている子もいるんですけどね。だから、個性があって楽しいんです。


白い天使ミルトン (AUG.27.1999)

障害馬術が好きな人なら、誰でも知っているでしょう、ジョン・ホイテーカーのミルトン号。「白い天使」と言われた、夢のように美しい白い馬体、優雅な飛越、ワールドカップに二回、他の選手権にも何度も優勝している名馬です。その姿は何度も見ていますが(もちろんTVやビデオですけど)印象に残っているのは、’90年のワールドカップ決勝(上位4人で、馬を取りかえっこして、4回乗り、合計点で勝敗を決める方式)でその年の優勝者、フランスのエリック・ナベが、初めて乗ったとは思えない、見事な騎乗のあと、白い馬体を嬉しそうにポンポンとたたいていたシーン。その様子は「わーい、ミルトンにさわっちゃった、乗っちゃった」と喜んでいるように見えました。そのぐらい、すごい馬だったんです。
そのミルトンが21歳で亡くなったそうです(死んだという単語は使いにくいですよね)。今日届いた「馬術情報9月号」に書いてありました。ジョンは引退後も、自宅前の牧場に放牧していたということです。あれだけの、活躍をした馬ですから、21歳は天寿でしょうか、少し若い気もしますが…。

馬が若くなる!? (JUN.09.1999)
実は、日本の馬の年齢は、数え年、生まれたとき(3−4月が出産シーズン)に、もう1歳(当歳/とうさい)で、翌年正月で2歳になってしまいます。つまり、「4歳馬のレース」は、満3歳の馬達が走っているわけです。

しかし、外国では、満年齢で数える(生まれたとき0歳、翌年正月で1歳)ので、勘違いや、トラブルが起こっていたそうです。そこで2001年から、日本中央競馬会(JRA)では、満年齢に変えることにしたそうです。

「日本ダービー」も「3歳馬のレース」になるわけですね。


リンク増えてます!!

って、それだけなんだけど、みんな面白いから、是非行ってみてね!!馬リンク

馬の博物館に行きました

(私事備忘録のページと同時掲載です。) 横浜の根岸には、日本で最初の洋式競馬場跡があります。
そこには、「馬の博物館」があって、私は10月31日、特別展「鎌倉の武士と馬」が見たくて、行って来ました。

展示物はは、少なかったんだけど興味深かったです。平家物語の時代の馬の模型もあって、小さい馬でした。馬具もいくつかあって、鐙なんか、足を乗せて摩耗した跡があったりして(当たり前といえばそうなんだけど)ホントにこんな鐙で乗ってたのかーと、感動してしまいました。

それと、講演会もやっていたので、聞いてきました。「中世武士の武芸と戦闘」という題で、戦記物の記述と本当の戦闘のやり方の違いなど、興味深い内容でした。
いずれ、平家物語のページあたりに、紹介したいと思います。

この「馬の博物館」の常設展示も、あまり数は多くないけれども面白いです。それと、ポニーセンターには、アラブ、サラブレッド、ポニー、在来和種など数種類の馬が飼われています。かわいいですよ。
横浜観光の際は、是非寄ってみてください。競馬場跡も公園になっていて、ピクニック気分で、楽しめます。


フランス国立馬術学校 
カドル・ノワール・ド・ソミュール 日本公演

のオペラと銘打って、来日公演が行われました。

印象としては、もうちょっと、観客を引きつける演出方法が、あったんではないかな。といった感じ。オーケストラ演奏は、生の必要はないと思うし、歌手が、馬場にでて馬に絡んだところで、芸術的とは思えない。ショウとしての出来は、いまいちでした。
そう感じるのは、たぶん、7年前の
「スペイン乗馬学校」の公演の印象が、あまりに強かったせいもあると思うんですが。あの、夢のような「優雅」とか「洗練」とかいった物を期待していったので、、、。まあ、もともと、騎兵学校ですから。

それは、それとして、やっぱり、良かったですよ。馬の片耳にかけたリボンと、たてがみの編み込みがおしゃれ。手綱もリボンと同じ色なの。騎手は、その名の由来にもなっている、黒の制服に、金のボタンや肩章、ピッカピカの拍車、ピンと伸ばした背筋が、いかにも軍隊という感じ。
プログラムは、「こんな風に調教します」みたいなデモンストレーションみたいな物がおおくて、もっと、カドリール(レプリーズ)とか、パ・ド・ドゥとか、普通の演技を増やして欲しかったです。

一番良かったのは、フランスの作曲家グノーのオペラ「ファウスト」のワルツ(この曲大好き)にのせた「躍乗馬のレプリーズ」。6頭の馬が、元気良く駆歩で入ってきて、後足で立ち上がったり、後足をうしろにまっすぐのばす、跳躍をしたり。横一直線に並んだ馬達が、一斉に立ち上がるのは圧巻です。(こういうのは、「スペイン乗馬学校」には無かったですね。あちらは、一頭ずつ、お上品に跳躍してました。)はぎれのいいワルツに合わせて、わくわくするような演技でした。


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ユニコーンのクリップアートは「トリスの市場」さんからいただきました。