三度目のパリ旅行です。今回も、パリやその近くで、いろいろなお馬さんたちを見つけましたので、書いてみました。読んでくださいね。小さい写真をクリックすると、解説つきの大きい写真や他の写真も見られます。
馬の生きた博物館
シャンティイ去年、迷子になって行けなかったシャンティイ(Chantilly)に、車で連れていって貰いました。馬好きの人は、パリに行ったら絶対行ってください。車で1時間ぐらい、電車でもそんなに遠くないです。
天気が良ければ、ピクニックに最適。お弁当を持って行きましょう。ただし、パリよりだいぶ気温が低いので、上着も忘れずに。この日は、手袋も欲しいくらいでした(;_;)コンデ侯のお城が、美術館になっていて、そのお城の厩舎が、お城と同じくらい豪華でお城より大きい位なんです。何代目かの当主が、『人は死ぬと馬に生まれ変わる』と信じていたそうで、こんな豪華な厩舎を作ったらしいです。今はその建物が『馬の生きた博物館』になっています。
その外には、競馬場があって毎年「エルメス杯」が行われるそうです。招待客はエルメスの顧客達で、その日は、大ファッションショウ会場と化すらしいです。
(エルメスはもともと馬具屋さんなのは御存知ですよね、今でももちろん馬具を作っています。ショウウインドウには、いつも奇抜な鞍が飾られています。絶対使えないよ、ってかんじの。緑色の鰐皮とか(笑)店内には、普通の鞍があります。一度だけ乗せて貰った事があるけど、それは良い乗り心地でした☆)さて、『馬の生きた博物館』の中には、本当に生きた馬が何頭もいて、それも、いろいろな種類のがいて、ポニーやロバもいます。もう、入ったとたんにうきうき気分ですよ。
びっくりしたのは、巨大なロバ。馬が「着ぐるみ」を着ているのかと思ったくらい、大きいんです(笑)あとで調べたら「ボデ・デュ・ポアトゥ Baudet du Poitou 」と言うフランスのロバだそうです。体高165〜170p位と言うから、サラブレッドより大きいのよ、それであの耳をしているの、想像して下さい☆展示物は、馬の模型にいろいろな鞍や、馬車の馬具をつけた物、女性の横乗り用の鞍に初めて触ってしまった☆それに、解剖学的な説明の部屋もあって、内蔵や骨格や、胎児や病気の足の標本まであるんです。
競馬の歴史、オリンピックの記録、世界の馬グッズ、たくさんの木馬コレクション、絵画、エルメスのスカーフ、本当に革命の頃の貴族が使っていた馬車と馬具、などなど。そして「ドレッサージュ」という実演もあります。これは、ショウと言うより、馬術の解説みたいな物です。二頭の馬と騎手が出て、「馬に乗るとはこういうことだ」という説明をしてくれるのですが、悲しいかなフランス語なのでさっぱりわからないんですね。わかったら、結構勉強になったと思うのですが…実演としては、常歩、早歩、駆歩、二蹄跡運動、悪い例も入れながら、脚や腰の使い方など、説明していました。
そして、馬術と言うより芸になりますが、右前足をぐっと曲げて、左前足を前に伸ばした、バレリーナのようなお辞儀。こんな風に練習します、と言って馬から下りて、人参をあげながら実演、最後にまた騎乗してお辞儀。拍手喝采です☆
もう一頭は鞍をはずして、完全に横に寝た状態で肩のあたりに、騎手のお姉さんが座ってしまう、という芸です。とにかく、色々説明をしてくれるのですが、さっぱりわからずで、残念でした。実は毎月一度「スペクタクル」といって、華やかなショウをやるらしいのです。パンフを見ると、白馬に翼をつけてギリシャふうの衣装の女の人が乗っていたり、バレリーナと馬がお辞儀をしていたり、ロココ時代の貴族風の衣装の人たちが乗っていたり、女性乗りで馬が後ろ足で立ち上がっていたり、かなり派手な事をやってるみたいで、興味津々だったのですが…今度は日程を合わせて行ってみようと思いました☆
「ドレッサージュ」に出ていたのは、白(芦毛)と黒(青鹿毛)の二頭だったのですが、黒い子の方は、人なつっこい感じでした。ショウが終わって、馬房に帰っていたので、近くにいくと、こちらに鼻を寄せてきてくれました。他の子達は、振り向いてもくれないのも多かったのよ。
馬房の横の馬をつなぐところは、ヨーロッパ式(?)に馬の頭を壁に向ける形でした。映画などでは見ていましたが、本物は初めて見ました。いつも不思議に思うのだけど「馬の後ろから近づいてはいけない」と言われるのに、これでは、後ろからしか近づけないでは無いですか。ヨーロッパの馬は、蹴らないのかしら?
確かに、テレビで見る競馬中継でも、パドックや終わってから帰ってくるときも、怖いくらい人が近くに寄っていますよね。☆シャンティイの『馬の生きた博物館』のリーフレットはこちらです。画像が大きいので、ちょっと重いですけど…
ロンシャン競馬場
ブローニュの森あの、「凱旋門賞」が行われる、ロンシャン競馬場を車窓見学☆してきました。この競馬場はパリ市内にあるブローニュの森の中にあります。この森の広さは半端じゃなくて、もう一つ競馬場があるし、テニスのローランギャロスがあるし、バガテルという薔薇の花で有名な公園があったり、とにかく広いのです。
シャンティイに車で連れていって貰った帰り道、このブローニュの森を通って貰いました。ちょうどスタンドの反対側、向こう正面の位置、レースはやってないかな…なんて言ってたら、来ました!!10頭ぐらいの馬がどどどっと駆け抜けて行きました。うわー、ロンシャンのレースを見ちゃったぞー(*_*)って感じで、大喜びでした☆
この競馬場、公園のお散歩がてら、この位置からなら「ただ」で入れるらしいです。すごいですね。もちろん大きいレースの時は無理かも知れませんが…
このブローニュの森には乗馬クラブもあるらしく、また、自分の馬運車で連れてきて乗る人もいるみたいで、『馬が通るから注意』の道路標識がたくさん立っているんですよ。こんな所を馬でお散歩できたらいいですね。
騎士の鎧と馬の鎧
アンバリッドここの金ピカの教会堂には、ナポレオンの棺が納められていることで有名ですが、それは、あんまり大がかりすぎて、私には感動も呼ばない物でした。ナポレオンはフランスでは英雄ですが、結局は侵略戦争をした、皇帝なわけで…(その話はベートーベンに譲るとして…(笑))
ここもすごく大きい建物ですが、中は「軍事博物館」になっています。これは、もろに私の好み☆何しろ、中世の鎧甲がこれでもかと、並んでいるのです。本当にはんぱじゃない数です。わくわくドキドキ☆
いくつかは、人形と馬形(?)に着せて展示してあって、迫力があります、結構大きい馬だったりするのですよ。この時代で、こんなに大きい馬に乗っていたのかなって感じ。ルイ15世の時代位になってくると、銃が出てきますが、螺鈿細工なんでしょうか、貴族趣味と言うか、すごい超豪華な装飾を施してあって、これを本当に使ったのかなって、思うほどでした。鎧も、子供用の小さいのがあって、こんな子供を連れていったんだなって…もちろん、絶対安全な所にいたんでしょうけど。
日本や中国の鎧も、いくつか展示してあるのですが、とても照明が落としてあって暗いのです。紫糸縅(おどし)の鎧とか書いてあったって、黒にしか見えない暗さなんです(笑)
それで、よく見えなかったんだけど、江戸時代の武士の鎧と、馬の鎧があったんですが、うまの顔にかける部分が龍の顔に作ってあったんです。こんなの見たことあります?日本でも、馬に鎧を着せていたのかな?あまり、見たこと無かったんで、驚きました。まだまだ研究不足のようですね。
パリの馬達
今回も、いろいろな所で馬を見つけては写真を撮って来ました。ここでまとめてご紹介。
のんびり引き馬
シャン・ドゥ・マルス公園にまた行きました。去年より一ヶ月早く、まだオン・シーズンだけに、人が多くて、ポニーの引き馬も多頭数でぞろぞろぞろ…
フランス編その1〈'98年〉にも、関連した話題があります。
エッフェル塔の麓
とにかく、パリには至る所に、馬の彫刻があるのです。エッフェル塔の麓でも、みつけて撮ってきました。他の観光客は、見向きもしない馬や、騎手達です。
エッフェル塔は、上の展望台に登る順番待ちの行列で、人の渦が出来ていました。他にも、土曜日でイベントがあるらしく、すごくにぎやかでした。ちなみに、エッフェル塔を真似して作ったのが、東京タワーですが、やはり、エッフェル塔はパリにあるから良いのだとつくづく感じます。東京の高層ビルの中の東京タワーは、夜景はきれいですが、昼間は、エッフェル塔のようには絵にならないですよね。
エルメスのシンボル
エルメスのお店の上には、白馬と騎手の人形があります。人通りの多い道で写真を撮ってしまいました(ちょっと恥ずかしかった(笑))ショウウインドウには鞍が飾ってあるのですが、これは実用ではなく、宣伝用。多分、今年の新作のハンドバックに使う皮でしょう。この前は、緑の鰐皮だったし(^_^;)
店内では、鞍の製造を見学できるらしいんだけど、Gパンでエルメスのショップに入る勇気はさすがに無かったです。グラン・パレ
ここは1900年のパリ万博を記念して立てられた、アール・ヌーボーの代表的な建物です。石造りの建物に、屋根がガラスだったり、とても斬新なわけですが、私の場合どうしても目がいくのは、入口の屋根にある、4頭立ての馬車のブロンズ像なわけです。ここでは、近代的な美術展が開かれるそうです。ルイ十三世スクエア
「ヴォージュ広場」は元の名前を「ルイ十三世スクエア」といいます。真ん中にルイ十三世の像が立っているんだけど、すっかり『鳩の止まり木』になってしまっています(^_^)周りは、昔から王宮や貴族の館があった所で、今も高級ホテルやレストランがたくさんあります。「ヴィクトル・ユーゴーの家」もここにあります。パリの馬肉屋さん
馬好きの方には、不届き物と言われそうですが、やっぱり、一応写真に収めてきました。「ヴォージュ広場」の近く、店の入口の上に、馬の首のブロンズがあるので、はじめは、馬具やさんかなとも思ったんだけど、行ってみたら、お肉やさんなの(;_;)。羊、山羊などもありました。ルーブルの無料見学
フランス編その1〈'97年〉で書いた「マルリーの馬」は実は美術館の中に入らなくても見られるんです。これは、中庭からメトロの駅に出る通路から撮った写真。この日は、ルーブル美術館は休館日だったんだけど、自然採光できれいに撮れました。もう一つの凱旋門
ルーブル美術館のチュイルリー公園側に、「カルーゼル凱旋門」があります、ナポレオンの命令で作られたんだけど、スケールが小さいと言って、さらにあの大凱旋門を作らせたと言う話です。凱旋門のレリーフ
凱旋門はナポレオンが作らせたんだけど、彼は生きてこの門をくぐることは出来なかったんだよね。奢れる者久しからず…。この門を中心にパリの街の主要道路が放射線状に伸びていて、屋上からの長めは圧巻です。
そして、この門には良く見ると無数の美しい彫刻が施されています。ナポレオンの武勇伝などだと思うんだけど、馬もたくさん出てくるので、写真に撮ってみました。夕日に映えるペガサス
「チュイルリー公園」のルーブルと反対側、「コンコルド広場」側の出口には、ペガサスに乗った人の彫刻があります。ちょうど夕方で、雲の間から上に伸びる太陽の光がとてもきれいでした。
ロワールのお城めぐり
今回は、初めて日本語ガイドつきオプショナルツアーに行きました。「ロワールのお城めぐり」です。これは時間的にも距離的にも、自分で計画するのは大変で、特別な研究のためでも無ければ、ツアーで十分かな。
ロワール地方は、15世紀前半から160年の間、フランスの宮廷があったところです。ジャンヌ・ダルクが活躍したのも、この頃、この土地です。
この一帯には、お城がとても沢山あります。お城には、国が所有している物、個人所有の物(公開されている所もあります)ホテルになっている物など、様々です。お城に泊まるなんて、ちょっと素敵ですよね。
シャンボール城のお巡りさん 「シャンボール城」はロワールでも有数の名城です。ガイドブックなどに写真が載ると、馬が一緒に写っている場合が、多いです。城の敷地内にも、「見学路→ 馬の通路↑」のような看板が出ていたりします。国の所有で、内部の見学が出来ます。パリからバスで3時間ぐらいでシャンボール城につきます。バスの窓から、制服の騎馬警官が3人歩いていました。敷地が広いし車で入れない所も多いので、馬が便利だそうです。(バスの中からだったので、上手く写真が撮れませんでした)
この周りの森は、もともと王家の狩猟場だったんだけど、今でも国賓が狩をしたい場合ここを使うそうです。ただ最近はあまりなくて、最後に使ったのは、「チャールズ皇太子とダイアナ妃」だというから、相当前ですね。
悲劇の城 アンボワーズ城 「アンボワーズ城」は外観だけの見学でした。お城の中は、素人目には、何処も似たり寄ったりで、あんまり沢山見ても、あきてしまいます(笑)もちろん、この頃はゴシック建築からルネッサンス建築に移行する頃で、その特徴が面白く出ていたり、王侯貴族達の居室など、時代によって、椅子ひとつとっても、それぞれ違うのですけれどね。この城は、カトリックとプロテスタントの対立があって、1560年に大虐殺が行われた事でも、有名だそうです。つまりは、政治がらみの権力闘争なわけで、昔の事だけにかなり、残酷だったようです。王母カトリーヌ・ド・メディシスは、息子フランソワ2世、王妃メアリ・スチュワートとともに、見ていることしか出来なかったとか…
それ以降、この城は使われなくなってしまったそうです。ここは15世紀にシャルル8世が、イタリア・ルネッサンスを導入し、その孫のフランソワ1世が、晩年のレオナルド・ダビンチを呼び寄せた城でもあります。
ちょうど、塩野七生の「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷(新潮文庫)」を読んだばかりだったので、感慨もひとしお。
このレオナルド爺さんは、チェーザレと一緒に居て、街の設計などをしていたんだけど、彼の立場が危うくなると、さっさと見切りをつけて、フランスへ行ってしまったんです。したたかな、超天才ですね。チェーザレはシャルル8世にも苦労させられていて、そんな話は、ガイドさんからは出なかったけど、一人で思いを馳せていたのでした。
水に映る貴婦人 シュノンソー城 ロワールのお城の中でも、ひときわ美しい、貴婦人の城と呼ばれるシュノンソー城。建てた時、城主は戦争に行っていて、その奥さんが監督をしたために女性的な作りになったとか。その後も、城主は女性でした。アンリ2世の才色兼備の愛妾、ディアンヌ・ド・ポワチエが城主だった時、毎朝川の向こうに馬で遠乗りに行くのが習慣で(これが「永遠の美女」の秘訣と言われていたらしい)、橋まで遠回りをするのが面倒と言うので、城から直接橋を架けてしまったそうです。
アンリ2世が亡くなると正妻のカトリーヌ・ド・メディシスが、この城を取りあげてしまい、橋の上に建物を建て、パーティーが出来るようなホールにします。そうして、今の美しいシュノンソー城が出来たというわけです。
ガイドさんがいると、そういう話が聞けて、たまにはいいかなとも思いますね(笑)お城には、馬はいません。敷地の外の羊の放牧場に、なぜか一頭だけポニーらしいのがいましたが…
☆シュノンソー城のパンフレットはこちらです。画像が大きいので、ちょっと重いですけど…
このページの素材は「Queen's FREE World 」さんから頂きました。